雄町(おまち)

安政6年(1859年)に岡山県上道郡高島村大字雄町(現岡山市雄町)の篤農家、岸本甚造氏が伯耆大山参拝した帰路で、一段と重そうな変わり穂を見つけた。このうち二穂を譲り受け雄町に持ち帰り栽培。選抜を続け、慶應2年(1866年)にこの新種に「二本草」と名付けた。これが非常に良い酒米であるという噂が広まり、岡山県南部をはじめ当地一帯にに普及し、いつしか地名の「雄町米」と呼ばれるようになった。

 

心白の大きい「雄町」の酒造好適米としての評価は極めて高まり、昭和初期には「品評会で上位入賞するには雄町米で醸した吟醸酒でなければ不可能」とまで言われた。しかし第二次大戦中、戦後においては主食用米の生産に注力されるようになったこと、耐倒伏性、病虫害への抵抗性が弱いことから作付けが減少し、「山田錦」の取って変わられることとなった。

 

昭和40年代には栽培面積が1ケタ台のhaに減少した。独特の「ふくらみ」をもつ酒になるので根強い人気があり、岡山県の酒造メーカー等が栽培を復活させる活動を行い、作付面積が増加している。現在栽培されているものは、大正11年に岡山農試で育成されたもの。現在は全国6府県で栽培されているが、そのうち岡山県で9割を占めている。

 

omachi

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